日本が磨き上げた世界に誇れるもの

世界に誇れる技術と日本の伝統と感性で現代(いま)を創る

 マスクスタイリスト岡本です、今回はマスクではなくネクタイを中心にお話したいと思います。

 この代表例が我々創るAlternaのネクタイであるとご紹介しましたが、今回はそのネクタイの素材の代表格であるシルク。

 

 そのシルクもこれに当たるんですよね。

 

 その歴史を紹介したいと思いますが、

 

 その前にこういう事例を本ブログでは次のように呼びたいと思います。

 

Alterna的な事

 Alterna的な事の定義=海外の物が日本に輸入され、それが日本人によってアレンジを加えられ昇華し、それが世界で脚光を浴びる事。

 

 Alternaはまだ世界で脚光を浴びてませんが・・・

 

 このAlterna的な事に当てはまる事例は結構あることは先のブログでも述べました。

 

 ラーメンみたいな事ですよね。

 

 では、シルクがなぜAlterna的なのかをご紹介差し上げます。

 

Alterna的な絹の歴史の紹介

 ネクタイの素材の代表格である絹。

 じつはこれAlterna的だったんですねぇ~。

 絹は、およそ江戸時代頃に日本人によってブラッシュアップされ外国人から非常に人気のアイテムにまで昇華されその後の日本の経済を支えるまでになった、Alterna的アイテムの代表格なのでした。

 

 その歴史をちょびっと紹介しますので、ご一読頂けますと幸いです。

 絹の始まりは、50006000年前の中国からと言われています。

 はじめは中国の王侯・貴族の独占物とされ国外に出すことは禁止されていましたが、紀元前43世紀には中近東からヨーロッパ・北アフリカを結ぶ東西交易路を通じて地中海諸国に伝わったといわれ、やがてこの交易路が絹織物を中心に活発になり、中国の長安からコンスタンチノーブルとを結ぶかの有名なシルクロードと呼ばれるようになったのです。

 そうして、徐々に中近東からヨーロッパで中国の染色技術を取り入れた絹織物の生産が始まり発展したのだそうです。

 日本ではいつ伝わったかは不明だそうですが、弥生時代の遺跡から平織の絹織物が出土していることから、養蚕はそのころ独自で行われていたのではとの見方です。

 しかしながら、その後は大きな技術発展もなかったようですが、江戸時代頃から品質改良が進められ、1858年横浜・函館を開港し、欧米諸国と貿易が始まると、日本の重要な輸出品の一つになります。

 1862年には、日本の輸出の86%が生糸と蚕種になるまでに成長します。

 1872年になると、政府は当時の製紙工場としては世界最大規模の富岡製糸場の操業を開始します。

 

      

 

 洋式製糸器械をヨーロッパから輸入し、日本の風土に適した器械を開発したことで、日本の製糸技術は著しい成長を遂げるに至りました。

 今では、富岡製糸場は世界遺産に登録されてますよね。

 

 このように、日本は古くから伝わっていた絹を近代化への重要な産業と位置づけ世界へ輸出し、発展してきたのです。

 

 これはまさにAlternaと言えるでしょう!

 

 一時期は日本経済の主軸でもあった素材と日本人気質が凝縮された生産背景でゆくゆくはAlternaネクタイも世界で評価される日が来るよう、日々努力を重ねて参りますので皆様どうか応援の程よろしくお願い申し上げます。

 

 少々長くなりましたが、この様に独自の視点からAlterna的な事例の紹介を織り込みながら、楽しく配信してまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

2020/04/16 — 岡本裕幸

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